解説:金井 弘夫(国立科学博物館名誉館員)
ビル・ニガントゥは19世紀末、時のネパール宰相ビル・シュムシェル・ラナの命により、パンディット・ガナ・ナート・デウコタ(1860-1944) が、ほとんどその生涯を費やして編纂したものである。この図譜には表題はないが、ビル宰相の名を冠して通称されている。ニガントゥは辞典という意味である。この時期のネパールはラナ家による幕府政治の時代で、宰相の命令は絶対だった。デウコタは各地に旅して材料を集め、画家を雇ってこれを描かせ、古典に当たってその中から該当する文章を抽出し、各種の文献から動植物の名前をとり集めた。日本では明治時代の前半にあたる。
本書は手書きのアーユル・ヴェーダ本草図譜で、10巻より成る。そのうち8巻は植物篇で約800種類を扱い、1巻は動物篇で約100種類、1巻は鉱物篇で約70種類が扱われている。植物篇は1頁に1種類の植物が、葉はもちろん、花と実と根が必ず描かれ、生育場所を示す背景も描き込まれている。すべて着色図である。樹木が多いがその他の有用植物、とくに野菜や穀類は描写が精細で、たくさんの品種が紹介されている。イネは18種類、サトウキビは13種類も描かれている。ただし、区別がよくわからないものもある。裏面にはその植物に関する古典の記事がサンスクリット文とネパール文で記され、多くの言語によるその植物名が列記されている。アーユル・ヴェーダはインドに伝わる伝統医学の体系で、体全体の調和を保って健康に長寿を保つことに基本が置かれる。記事を読んでみると、それぞれの植物の効能や適用症もさることながら、西洋医学とは異なった考え方があることがわかり、興味深い。もっとも、図と記事が対応しているかどうかは検討を要する。
動物篇は1頁にいくつかの動物が描かれ、記事も簡単であるうえ、未完成の部分が多い。おもしろいことに拡大描画という手法がなく、ゾウは1頁に収まるように縮めてあるが、アリはそのままの大きさに描かれていて、紙面の粗いネパール紙では少々見にくくなっている。鉱物篇には図はない。
この図譜はネパール政府の所蔵であるが、秘蔵されていて今日では閲覧することはほとんどできない。ここに示すものは1970年代に撮影されたものである。
国立科学博物館名誉館員
元・国立科学博物館植物研究部長
理学博士/植物分類学/植物地理学/植物同定学/植物分類学情報処理/分布地図自動作図
東京大学理学部生物学科卒。同植物学教室助手を経て
35~53年第1次~6次インド植物調査隊員・43年同総合研究資料館助教授
44~46年ネパール政府薬草局コロンボプラン・アドバイザー
平成8年『新日本地名索引』(Aboc社)で第30回吉川英治文化賞受賞。
現在環境工科学園東洋工学専門学校講師
主な著作
最近では
普通植物県別分布調査,国内野生薬用植物分布調査
長野県植物誌資料集などを進行中
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