巨木だからこそきっと 神がユリノキにのみ許したのだと思う。
チューリップ形の花、優しい葉、そして風紋のような樹皮。
その秘められた生命を知ろうと――
おずおずと――、ずかずかと、樹の胎内にはいってみる。
一、花
○原始の花
私が通っている大学のキャンパスにスズカケノキの並木がある。この並木に混じってユリノキが数本植えられている。
スズカケノキの剥げた木はだにくらべ、ユリノキの幹は黒ずんで、縦に裂け目があるので、すぐ見分けがつくし、ハンテンを思わせるような形をした葉はつやがあり、逆光を浴びた若葉は一層、新鮮さを覚える。
ここのユリノキにも、もう花が咲きだした。
ユリノキの花は高いこずえにつくので、気がつかずに通りすぎることが多いが、形といい、大きさといい、チューリップそっくりである。花びらは淡い白みがかった緑で、下部にオレンジ色の帯をしめる。多数のめしべの集まりの周りを、幾本ものおしべが後光のように取り巻いて、原始的な花の面影をとどめている。新緑の季節に上を向いて歩いていると、思わぬ発見をするものである。
これは『若葉に映えるユリノキの花』と題して、朝日新聞(昭和五〇年五月十三日)「声」の欄に載った織田秀美教授の一文だ。東京に住む学友の伊藤君が、はんてんぼくのことが載っていると、わざわざ手紙で教えてくれた。「上を向いて歩いていると思わぬ発見をする」……たしかにそうなのだ。うつむいて背を丸め、ズボンのポケットに両手をつっこんで、こせこせと急ぎ足で歩いていたのでは、見えるものはコンクリートかアスファルトの粗面くらいだろう。
織田教授に「原始的な花」を思わせたというユリノキの花を語るまえに、その芽について少し触れておきたい。
ユリノキの芽は、ちょうどアヒルのくちばしに似た平たい円体面で、他にあまり例を見ない独特な形をしている。その芽は、一面に青灰色の粉をふく二枚の鱗苞(鱗片ともいう)によって両側から包まれ、微細な毛に覆われている。手のひらを合わせたように固く包まれているなかに、新梢が潜んでいる。
この二枚の鱗苞が、春の気温の上昇につれて樹液が動く時期になると、ようやく動きはじめる。まず第一葉が、鱗苞のあいだから顔を出しはじめると、やがて鱗苞は寒さを防護する役目を終えて、地上へ落ちる。しかし、このあとも第二の鱗苞が、また第二葉を保護して、その発育を待つ。
こうして、一つの芽で、このようなことを数回くりかえしながら葉の数を増すいっぽうで、鱗苞の基部にあたる部分が伸長して新しい小枝を形成していく。なお、この鱗苞の内側には葉の構造が退化した内芽があって、葉の付け根で一つになっている。
○緑色の花冠
ユリノキは植えてから約一〇年も経つと、いよいよ幼木の域を脱して一人前に育ち、芽のなかに花芽の分化がはじまる。桃・栗三年、柿八年というが、ユリノキは柿よりも少しおくれるので、たしかに花の待ち遠しい木の一つであろう。
この花芽は、一年生の新梢の頂上に形成され、しかも一梢一花で単生頂開の花、つまり新梢単花の木である。さらに花芽の胎動がおそいという特性があって、春にさきがけて咲くレンギョウやハナズオウなどのように、まず花が開いてから葉が出るのではなく、ユリノキは数枚の葉が大きく開張したころにようやく蕾が勢いよく発達しはじめる。
蕾は、六枚の花弁をもち、三枚の萼片に包まれている。
やがて大きくなった蕾がほころびると、ちょうど湯呑み茶碗のような形をした、差し渡し六センチメートルにも及ぶ大形の花が上を向いて開く。しかしこの花も、幅一〇センチメートルよりも大きい葉にさえぎられ、しかも大木の花ゆえに頭上高く咲くことが多いから、ややもすると樹下を通る人々から見落とされてしまう。
そのうえ、花弁は緑の色素をもっていて、淡黄緑色の花だから、なおさら目立たない。
他の多くの花は、そのあでやかな彩りで人目を競うのに、ユリノキの花は、大きいなりをしながら、緑の葉かげに隠れるように淡黄緑色の花弁をつけて咲くという謙虚な花木である。
われわれは〝緑の花〟と聞いただけで、まことにロマンティックな感じをうけるばかりでなく、花のはじまりの色はすべて緑でなかったのだろうか……との錯覚さえ覚えて、なにがなしにユリノキが原始の花のように思えてくる。
試みに、いちどユリノキの花を手にすると、おそらく数多くの人がその花の姿に魅せられて、しばし心を奪われることであろう。横から眺めてよし、斜めから見てよし、さらに上からのぞき込んでも、そのすばらしさに驚く花である。
三枚の大きい萼片は、ちょうど蓮の花萼に似ており、その上に六枚の広い卵形、あるいはまるみをおびた楕円形の花弁が、ワイングラス形の花を造ってふくよかな薫りをただよわせる。
花弁の中央には、数十本の雄しべと一〇〇個近い雌しべとが螺旋状にきれいに並んでいる。
濃い紫色の雄しべは、二センチメートルほどの長い短花糸を花托に付着し、その先端につく五ミリメートルほどの葯は外に向いて、あたかもイソギンチャクが触手を伸ばしきったように放射線状に広がり、円錐形に集まる雌しべの周囲を守っている。
織田教授は、これを仏像の光背に見立てたのである。
○古代花の形質
さて、モクレン科に属する植物の花の葯は、すべて扁平で内側につくが、ユリノキだけは外側につき、まったく異例だ。この付着のしかたは古代植物によく見られるところから、ユリノキの花が原始の花の一つである、と説かれる理由もここにある。
また、多数の雌しべが、ちょうど松柏類の裸子植物のまつかさによく似て、果軸のまわりにお互いが密着してつくが、心皮をもって果軸の根もとに付着している花柱は、花が終ると、しだいに翅状に変わっていく。
このように、ユリノキの花の、雌しべの果軸への密着と花柱の翅状への変化は、一般に広葉樹類にはきわめて珍しいことから、広葉樹時代より発生の早かった針葉樹の球果の形にも類似しているものとして、花としては原始的形態を残している、とする説もある。
いずれにしても、ユリノキの花は、花の発生の起原と進化とをたどるうえで、学者の間で注目されていることは事実なようだ。
花の生成は、多くの葉のついた枝がそのままの姿で梢の頂上に圧縮され、ある葉は花托になり、ある葉は花弁になり、また、他の葉は雌しべ・雄しべ・果軸に変化するという学説もある。すなわち、葉が進化して花になったとする考え方である。
こうしてユリノキの花を眺めるとき、見れば見るほど、その淡黄緑色の花からは、いっそう原始の花の薫りが強まってくる。
毛藤勤治 著 / 四手井綱英・村井貞允・指田 豊・毛藤圀彦 寄稿
四六判 / 並製 / 304頁(カラー24頁) / 定価1,885円(本体1,714+税)/
ISBN4-900358-23-1
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