明治35年(1902) 8月8日 秋田県雄勝郡湯沢町に佐竹家の次男として生まれる。父義雄、母レイ。 明治36年(1903) 1歳 10月 早川家に養子縁組、早川義宏となる。 明治42年(1909) 7歳 4月 湯沢尋常高等小学校に入学。 大正05年(1916) 14歳 3月 高等科一年を修了し、 4月 秋田県立横手中学校に入学する。 大正08年(1919) 17歳 兄義質の死去により佐竹家督を相続し、佐竹義宏となる。 大正09年(1920) 18歳 3月 佐竹義輔と改名する。 大正10年(1921) 19歳 3月 横手中学校を卒業し、 4月 学習院高等科に入学する。 大正13年(1924) 22歳 物理学の学年末試験に失敗し留年する。植物学に進むことに決心する。 大正14年(1925) 23歳 3月 学習院高等科を卒業し、 4月 東京帝国大学理学部植物学科に入学する。 大正15年(1926) 24歳 7月 中井猛之進教授の指導による小笠原島の植物実習に参加する。 昭和02年(1927) 25歳 4月 植物分類学専攻を志望し、早田教授の指導で、卒業論文は「イラクサ群植物の灰像の分類学的価値について」ときまる。 昭和03年(1928) 26歳 3月 東京帝国大学理学部植物学科を卒業。同級生に関野武夫、田沢康夫、田中伊助、御江久夫、村上進、薬師寺英次郎がいる。 5月 理学部副手を嘱託され、月手当十五円を支給される(15年3月まで)。 昭和09年(1934) 32歳 4月 東京農業大学講師を嘱託される(昭和14年12月まで)。 昭和12年(1937) 35歳 2月 東京帝国大学より理学博士の学位を授与される。(学位論文は日本産ヤブマオ属の研究) 昭和14年(1939) 37歳 4月 東京高等師範学校講師を委嘱(15年3月まで)。 6月 陸軍獣医学校研究業務を委嘱される(20年3月まで)。 11月 東京科学博物館学芸官に任じられる。 昭和15年(1940) 38歳 7月 植物調査と採集のため満州国に出張し、新京、ハルピン、小與安嶺、興凱湖などを旅行する。 10月 台湾に出張し、太平山、阿里山、新高山に登り、高雄の京都大学農学部演習林を視察する。 昭和17年(1942) 40歳 12月 海軍省南方政務部事務を嘱託される(19年1月まで)。 昭和18年(1943) 41歳 1月 蘭領ニューギニアの資源調査隊、第三班長として出張。13日、白山丸に乗船して横浜出港、2月5日、調査隊基地マノクワリに上陸。3月14日、第三班の根拠地ワオブに上陸し3月末まで付近の調査を行う。5月29日、マノクワリに帰着。6月4日、桑港丸に乗船しマノクワリを出港。コロールを経て、29日呉に入港する。 4月 東京文理科大学講師に嘱託される(19年3月まで)。 昭和20年(1945) 43歳 7月 館長病気のため館長代理となる(11月まで)。 8月 肋骨カリエス手術のため入院中。終戦の玉音放送をきく。 昭和23年(1948) 46歳 3月 東京科学博物館学芸部長に補せられる。 8月 飯豊山に登り、高山植物を観察する。 昭和24年(1949) 47歳 官制の改革により、東京科学博物館が国立科学博物館になり、学芸部長に配置換になる。 昭和26年(1951) 49歳 3月 日本学術会議より植物学研究連絡委員会委員を委嘱される(35年まで)。 7月 中井猛之進館長を団長とする屋久島種子島の植物調査に参加する。 11月 社団法人日本博物館協会評議員を委嘱される。 昭和27年(1952) 50歳 12月 文化財専門審議会専門委員(第三分科会所属)に任命される(56年まで)。 昭和28年(1953) 51歳 10月 新潟大学理学部講師を委嘱(31年3月まで)。 昭和32年(1957) 55歳 8月 富山大学文理学部講師に併任(9月30日まで)。 昭和33年(1958) 56歳 1月 広島大学理学部講師に併任(3月31日まで)。 7月 東京都立大学講師(非常勤)に委嘱(41年3月まで)。 昭和35年(1960) 58歳 9月 尾瀬の特別天然記念物(天然保護区域)の総合調査に文化庁より出張する。 昭和37年(1962) 60歳 4月 国立科学博物館第一研究部長に配置換になる(41年4月まで)。 昭和39年(1964) 62歳 7月 大雪山の特別天然記念物(天然保護区域)指定のため文化庁より出張する。 10月 『植物の分類』を第一法規出版KKから出版する。 昭和41年(1966) 64歳 4月 国立科学博物館植物研究部長に配置換される。 昭和42年(1967) 65歳 3月 停年退官する。 8月 これを記念して、南アルプス北岳に登り、高山植物の観察をする。 昭和43年(1968) 66歳 6月 山梨県北巨摩郡長坂町小荒間に原野一〇アールを求め、小山荘を建て、ここを根拠に、清里、野辺山、霧ヶ峯、櫛形山などの四季に親しむ計画をたてる。 8月 牧野植物同好会第一四一回野外観察会が木曽駒ヶ岳で催され、指導に登山する。 昭和47年(1972) 70歳 3月 国立科学博物館名誉館員に推される。 7月 『カラー日本の花』を山と渓谷社から出版する。 昭和51年(1976) 74歳 4月 宮中で「ホシクサ科植物について」御進講の光栄に浴する。 昭和53年(1978) 76歳 6月 櫛形山に登り、分布上珍しい、ホザキノツキヌキソウ、キバナノアツモリソウ、ホテイアツモリソウを観察する。 昭和56年(1981) 79歳 10月 『日本の野生植物、草本Ⅲ、合弁花類』(平凡社)リンドウ科ほか二科を執筆する。 昭和57年(1982) 80歳 1月 『日本の野生植物、草本Ⅰ、単子葉類』ユリ科ほか十二科を執筆する。 3月 『同、草本Ⅱ、離弁花類』イラクサ科ほか十一科を執筆する。 9月 『山野草たちの歳時記』(講談社)を監修する。
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