下痢と血便で衰弱した老女を治す
十一月になってから、オイバは毎日のように研究所に顔を出すようになった。一方、ヤーネスとレベッカは、このころからすっかり姿を見せなくなってしまった。結局彼らは、五種類の薬草とその使い方を教えてくれただけだった。彼らの消息をオイバに尋ねるが、知らないという。
オイバは積極的で、化学分析用のサンプルを持ってきたり、研究所の敷地内で薬草を採取したりと協力的だった。そんなある日、
「今日治療に行くが、見に来るか?」
と、オイバは私にいった。
「私の隣人なんだが、激しい下痢と血便が続き、病院に行ってもよくならないらしいのだ」どうやら赤痢のようだが、私はまだ実際にオイバが治療しているところを見ていなかったので、是非見たいと、返事をした。
私たちは4WDのトラックでオイバの家に向かった。オイバの自宅はワウの町はずれにあり、舗装された道から凸凹道をしばらく入ったところにあった。小さな一つの集落をなしており、オイバの生まれ故郷であるフィンチハフェン出身の人たちが集まって住んでいた。ニワトリが放し飼いにされ、短く刈られた草の上を走り回っていた。踏み固められた赤茶色の地面の上に、高床の小さな草ぶきの家がいくつかあり、その一つがオイバの家だった。
オイバは家の中に入ると、薄汚れたプラスチック製のボトルと黄緑色の葉のつる草(Clematis clemensiae キンポウゲ科)を持って出てきた。
「これは、ゼンゼンだ。この葉を搾って薬を作るんだ」オイバは、すでに診察して、与える薬を決めていたようだ。家の入口前の縁側に座って、薬を作り始めた。患者のことをたずねたら、
「ニガという七十二歳になるおばあさんだ。もう、一週間も下痢と血便が続いている。すっかり弱っちまった」濁った液体を、かなり使い込んだ傷だらけのホーロー引きのカップに茶漉しで漉しながら注いだ。その液体は、すでに搾ってあったゼンゼンの葉汁に水を加え薄めたものだった。
オイバはそれを持って奥の家に向かい、私は彼について行った。やはり草ぶきの四畳半ぐらいの家の前に着くと、開け放たれたドアから薄暗い家の中がうかがえた。床には藁のような干した草が敷いてあり、その上にガリガリにやせ細った老女が横たわっていた。オイバが声を掛けると、そばにいた息子に抱えられるようにして上体を起こし、入口付近に出てきた。顔を見ると頬がこけ落ち、目にはたくさんの目やにが出ていた。まったく見るに忍びない姿であった。
オイバは持ってきたカップを差し出した。老女の手が弱々しくゆっくりとカップの取っ手に届くと、オイバは老女の口元にカップを導いた。
「ほら、ゆっくり飲みな」しばらくして、老女はすべて飲み干し、私の方を少し見ると、また横になってしまった。大丈夫なのだろうか。私はお大事にと小さい声で告げて、オイバの後についてその場を離れた。
約一週間後、オイバが、例の老女がよくなったというので、私はオイバと様子を見に行った。すると、前回訪れた小さな草ぶきの家の縁側に、老女は腰掛けていた。体はまだガリガリに痩せていて、膝のところで皮がたるんでいた。しかし、顔の表情は大きく異なっていた。目やにはなくなり、死人のような目つきから解放され、生き生きとしていた。頬もいくらかふっくらしている。前回の様子では命も危ういと思っていた私は、それを見て、まず安心した。
私が彼女に近づいて行くと、杖を使って立ち上がり、私を迎えるようにこちらへ歩いてきた。
「これは、すごい。もう、歩けるんだ」
と、私が驚いていうと、老女ニガはニコニコしながら大きくうなずいた。
「よかった。本当によかった」
私は彼女と握手をしながらいい、後ろを振り返るとオイバも白い歯を出してニコニコしていた。オイバの患者になった私
元来胃腸の丈夫でない私は、下痢しやすい体質であったが、日本から持参した薬で何とか対処していた。しかし、この国へ来て八ヶ月後の十一月ごろからどうも調子が悪い。とくに原因は分からなかったが、私は飲み水を疑っていた。
この国では、多くの地域で雨水を飲料水に利用している。家のそばに大きなタンクが備わっており、屋根に降った雨水を樋を使って集める。それをポンプで家庭内に引いている。大気汚染のない青い空からの水であるが、蛇口をひねると時々茶色の葉くずが混じることがある。必ず一度沸かしてから飲んでいたが、この国の人たちはそうではなかったようである。たまに呼ばれて飲み物などをご馳走になった時は、雨水そのままを飲んでいたようである。元気な時は何でもないが、疲れている時はそうはいかない。
その時は一週間も下痢が続いていた。常備薬である正露丸を服用してもよくならない。そこでオイバに状態を告げて、薬を求めてみた。
「よし、それならよい薬がある。おれの家まで来い」
と、オイバがいった。そこで、私は研究所の4WDのトラックにオイバを乗せ、またオイバの自宅へ下りて行った。車でワウの町を走ると、私を知っている者は必ず人差し指を一本立てて合図してくる。これは男同士の仲間の挨拶で、礼儀でもあった。行く先が同じ方向なら、歩いている者は乗車を乞うてくるし、歩いていたら乗せてあげるといった、仲間の絆がある。
オイバの集落へ行くと、子供たちが大勢迎えに出てきた。何度か訪ねて行くうちに人気者になってしまったようだ。
「マルヒア」(フィンチハフェン地方の言葉でこんにちは)
といって、彼らの部族の言葉で挨拶すると、喜んでくれる。この国では、同じ部族の言葉を話す仲間をワントークと呼び、親しい間柄になるとお互いをワントークと呼び合う。他の村と交流する時は、それぞれ相手の言葉を使うことが友好的な交流を意味しているようだ。このような言葉に対する考え方が、この国の人々に多種の言語を使えるようにしている。自分の部族語に近隣の部族語、そしてピジン語、さらに英語と、三から四つの言語を話せる人が多い。また、ピジン語といったニューギニア製の英語ができた背景にも、相手の話す言葉を尊重する習慣が関与していたように思う。
オイバは自宅に入ると、ハート形の葉のついた枝(Rubus moluccanus バラ科)を持って出てきた。
「これはフィフィンハレだ。いまから作ってやるから見てな」
といって、また家の中に入った。真ん中に囲炉裏があるだけの狭い家で、私は外からオイバの様子を見ていた。薄暗い部屋の中で囲炉裏のおき火が赤く燃えていた。その上に張った金網の上に、四~五枚の葉がついたフィフィンハレをのせた。オイバはおき火に息を吹きかけて火を起こし、フィフィンハレを焙った。裏表に返しながら三分ぐらい焙り、熱いうちに葉をむしり、素早く手の平で数枚の葉をクチャクチャと丸めた。そして私の方へ手を差し出し、目の前で広げた。
「これを飲め」
ゴルフボール大の丸められた葉を見つめながら、私はすぐにいい返した。
「これを噛まずに飲むの?」
「そうだ。噛まずに一気に飲み込め」仕方なく、私はクチャクチャな葉っぱの塊を口に入れた。周りには、たくさんの子供たちが私の様子をうかがっている。私はそのまま飲み込もうとするが、喉を通らない。そこで、オイバに気づかれないようにそっと噛んでみたら、物凄く苦くて思わず顔を歪ませてしまった。その顔を見て、子供たちがドッと笑い出した。その時、噛まずに飲めという意味が分かった。覚悟するため少し間をおいて、私は一気に飲み込んだ。すると、子供たちの歓声が上がった。
その日の晩、少し頭痛がしたが、夕食を食べた後も下痢することなく、翌日も食事の後にすぐトイレに行くことなく、すっかり下痢の心配がなくなった。
ハリー所長の子供が下痢
その時は、研究所の付近でオイバが使う薬草を採取していた。研究所の敷地は総面積80ヘクタールで、コーヒープランテーションがその半分を占め、残りの半分は自然林であった。その中で一際目立った存在をしていたのが、ピジン語でパンダナスと呼ばれるタコノキ(Pandanus tectorius タコノキ科)である。5~6メートルの高さで、一見ヤシの木のように見えるが、一枚の葉が2メートルぐらいでナイフのような鋭利な形をしていて、根が地上部2メートルぐらいから出て気根を形成しており、ちょうどタコの足のように生えている。このどこか剽軽な姿に目をとめていたら、オイバが、
「ボホンだ。これもよい薬になる。ただ、薬になる樹液を採るのに技術がいる」
といった。私がさらに尋ねると、答える代わりに山刀を取り出し、気根の先端を削ぐように軽く切り口を入れた。そして、手でその切り口から皮を剥いていくと、先端からお椀のような蓋が外れた。すると真っ白な内部があらわになり、その先から乳白色の液体が滴り落ちてきた。そこで、オイバは、
「これだ。このミルクのような液体が、咳や喘息に効くんだ。ちょっと待ってろ」
といい、山刀を持って、近くの竹林に入って行った。手際良く数本の竹を切ってくると、一本を白い樹液の滴る気根の下に当てて液が溜るように設置し、残りの竹を支えに使った。
「これでよし。明日になったら、いっぱいになる」
とオイバはいい、私たちは歩いて研究所に向かった。研究所に戻ると、私の机の上にメモがあり、ハリー所長がオイバに用があると記されていた。オイバを連れて所長室に行くと、ハリーは待っていたようで、すぐにオイバに話しかけた。
「三歳になる私の娘が、ここ何日か下痢が続いているんだ。何とかしてくれないか」
オイバは、
「明日、薬を用意してくる」
といって、その日は帰った。翌朝、オイバが研究所に現われるとすぐに車に乗せ、所長の家に向かった。研究所の敷地内でも一番標高の高いところに所長宅はあり、研究室や受付のある事務棟から、さらにカインディ山を登っていった。幅の狭い急な砂利道で、両側をプランテーションのコーヒーの木に挟まれている。運転しながらオイバの方を振り向くと、オイバの肩にひもで編んだ袋ビルムが掛かっていて、その中にきれいに折り畳んだバナナの葉が入っているのが見えた。その中に何が入っているのかたずねると、
「パパヤとハガルの根だ。これらは、子供の下痢によく効くんだ」
と答えが返ってきた。パパヤはあのおいしいパパイヤ(Carica papaya パパイヤ科)のことで、ハガルは赤いきれいな花を咲かすハイビスカス(Hibiscus rosa-sinensis アオイ科)のことである。しかし、今回薬として使うのはそれぞれの根の部分である。急な坂道を十分ほど登ると、所長の家が見えてきた。そこからは、ワウの町を眼下に一望できた。クラクションを鳴らして到着を告げると、まずメイドが出てきて、すぐにハリー所長が三歳の愛娘カーラを抱いて出てきた。カーラは、この国の多くの子供同様にやや痩せているが、栄養が悪い訳ではなかった。普段は元気ないたずら娘で、カーラモンスターと呼ばれるほどやんちゃだった。しかし、その日はハリーにピッタリとくっついて元気がなかった。
早速、オイバは肩のビルムからバナナの葉を取り出し、開いて中を見せた。
「これがパパヤの根だ。まずこれからだ。鍋を持ってきておくれ」
とオイバがいうと、メイドが片手鍋を持ってきた。その根は皮を削った白い部分を細く裂いたもので、まだ瑞々しくつやがあった。皺だらけの黒い手を合わせ、その新鮮な白い根を鍋に入れると、鍋の半分を占めた。
「これに、この根がたっぷりと浸るぐらい水を入れてくれ」
と、鍋の縁を指で差し示しながら、オイバはメイドにいった。
「それで、火にかけて少し沸騰させたら持ってきておくれ」下痢はどこの発展途上国でも多いが、とくに子供の場合は脱水症状を引き起こして命取りになることもあり、油断のならない症候の一つである。五歳以下の乳幼児の死亡率を下げるため、多くの途上国でWHOによる下痢対策プログラムが推進され、母親の教育や脱水症状を防止するための経口補液剤の普及をはかり大きな成果を得ている。しかし、下痢がどの国にもあるように、どの国にも下痢を治す薬があるはずである。乳幼児死亡率の数字を下げるためには、十分な力ではないかもしれないが、その国の人々が培ってきた長年の知識を無視することはできない。
メイドが沸騰した鍋を持ってきた。それを一度大きめのカップに移し、空いた鍋にハガルの根を入れた。やはり、白く瑞々しい根で細く裂いてあった。同じように水を入れ、煮るようにオイバは指示した。
そして、カップに移されたパパヤの煮汁を、茶漉しでコップに漉した。冷めたころを見計らって、オイバはスプーンを使って、ハリー所長の膝の上にいるカーラにその茶色い煮汁を飲ませた。苦そうに見えたが、カーラはオイバの運ぶスプーンで次から次へと、コップの半分まですぐに飲んでしまった。
そのうちにハガルが煮上がってきて、オイバはカーラに同じように与えた。二種類の薬草を各々別に煮て、まずパパヤ、そしてハガルを飲ませた。この順番で飲ませなければならないとオイバは主張したが、その理由は分からなかった。
その後のカーラの様子を直接見にいけなかったが、ハリー所長の話ではすぐよくなったとのことだった。
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