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ニュージーランド

ニュージーランドは日本から東南に約9000km、南北二島を中心としてスチュアート島やその周辺の島々からなり、面積は26万8676km2(日本の0.71倍)、人口は約350万人である。人口構成はヨーロッパ人86%、マオリ人9.2%、サモア人0.9%、中国人0.5%、その他3.3%となっている。人口密度は一km2当たり約12人である。十七世紀にオランダ人タスマンがこの地に上陸し、オランダの地方名Nieuw Zeeland(新しい海の土地)と名づけ、後にイギリスの植民地になるにつれて、これが英語化してNew Zealandとなった。主な産業は牧畜で、羊は最盛期では7000万頭以上、現在では生産調整して5000万頭台になっている。羊毛37万t、牛乳670万t、原皮17万t、小麦37万t、大麦32万t、ジャガイモ28万tを生産し、牛約1000万頭、豚54万頭、鶏633万羽が飼育されている。食糧自給率は穀類108%、イモ類108%、豆類162%、野菜類117%、肉類322%、魚介類327%といずれも100%以上で完全自給国である。対日貿易で輸出第一はアルミ地金の2億2200万ドル、次いで羊毛の8400万ドル、輸入は一般機械の2100万ドル、電気機械の1億3900万ドルとなっている(一九八三年統計)。

一九九七年十一月五日、現地時間午前八時十五分、クライストチャーチ着。成田から十一時間強のフライトであった。夜行便は熟睡ができず、おまけに時差が夏時間で四時間ある。日本時間の午前二時半頃に出てくる機内朝食は、あたかも運動できぬ濫で飼われているブロイラーみたいで、胃の調子も良くない。

個人宅のガーデニング

空港は市内中心部より東に10km離れている。貸切りバスに早々に乗り込む。車窓で見るイギリス風の住宅街の庭は今が花盛り、世界中から集められ植えられている花木はまるで花束や盛花の世界であり、この国の個性や特徴などはまったく感じられない。色とりどりの花、シルバーや黄色、赤色、カラーリーフと呼ばれる広葉樹やコニファーがカクテルされて植えられている。色彩学やデザイン学の観点から見れば、まあ、これはこれでよいのだろう。

シャクナゲ、エクスバリー・アザレア、ライラック、ウツギ(各種)、アイリス、オダマキが所狭しと咲いている。表通りに面した庭は全体の三分の一程度の面積で裏庭は広く、草花、花木の他に野菜なども育てている。また景観上、洗濯物などはすべて裏庭に干され、日本のようにどこでも洗濯物や布団を干している光景は探してもない。聞くところによると、年に一度ガーデニングのコンテストがあり、上位入賞者には賞金や表彰状も出るとか。しかし一年間はその美観を保つ義務も課せられるとのことである。

ニュージーランドの歴史

ニュージーランドにはポリネシア系マオリ族が十世紀頃移住してきた。一六四二年アベル・タスマンがこの島々を発見し、一七六九年にジェームズ・クックが探検した。イギリスは一八四〇年にマオリの首長50人と交渉して、ワイタンギ条約を結び統治権を確立し直轄植民地とした。入植が本格化するとともにマオリとの対立が生じ、一八七〇年まで、マオリ戦争と呼ばれる戦いが繰り返されたのである。マオリ族の多くは北島の北部の温暖な地に住み、鳥獣狩猟、山菜採取、サツマイモやトウモロコシを作り生活していたが、だましとも思える土地の売買で、一八四〇年から一八七〇年の三十年間でマオリの土地の大部分が白人の手に渡り、白人のもたらした伝染病などで人口も減り、一八九六年には42000人になった。その後の政策で産業の指導、保護などによって、一九八二年には約二九万人に回復したのである。

北島に入植した白人達は主に捕鯨を産業として、鯨油を本国に売りその国家基盤を築いたといわれている。今はニュージーランドは頑固な反捕鯨国ナンバーワンになっているが、かつてアメリカも含めて捕った鯨の数はノルウェーや日本どころの比ではない。特にアメリカは、テキサスなどで石油が発見されるまで百年間、最盛期には太平洋、大西洋含めて常に800隻の捕鯨船が操業していたといわれている。漂流して鳥島に流されたジョン万次郎を助けたのもアメリカの捕鯨船であったし、一八五三年ペリーが来て開港を迫った理由の一つに、これらの船の生鮮食糧の補給の目的もあったのである。

現在、景気の落ち込みで羊や肉牛も駄目というから南氷洋に近い地の利を生かし、いっそ捕鯨国となり、日本に鯨肉を輸出してくれれば大歓迎である。

これまでの立場もあるし、もっと羊肉や牛肉が売れなくなる可能性もあり、オイソレとは行かないようだ。鯨肉で育ったわれわれ世代には恋いこがれる肉であり、ぜひ捕鯨の再開を求めるものである。反捕鯨の牧畜国には鯨肉分だけ牧畜国の豚や牛、羊の肉を割り当てとして買い上げる提案をしたら意外と賛成するかもしれない。

住宅地を抜けてカンタベリー大学の構内に入る。ニュージーランドには七大学があり、このクライストチャーチにはクライストカレッジとカンタベリー大学の二校がある。カンタベリー大学は敷地22万坪(甲子園球場の55倍)、生徒数1万人、教師陣は500人ということである。郵便局やスーパーストア、理容店も中にあり、一つの町としての機能ももっている。キャンパスにはナイーブな曲線を描いてエイボン川が流れている。植栽は芝生をベースとした高木中心である。時まさに青葉若葉の季節でナンキョクブナ、カエデ類が柔らかな新芽を展葉させ、マロニエがピンク、白などの花をつけている。

クリスマス・ツリー(Metrosideros)と呼ばれている樹木はまだ時期が早く、紅いネムノキ状の花はちらほらと咲いている程度である。南門の際に南米原生種のモンキーパズル(Araucaria araucana)が高さ10mになって、特徴ある円錐形の樹形で芝生の土手に鎮座している。この木は枝が正確に三分岐するので姿はどこから見ても同じである。もしサルが登った時、自分の位置が解らなくなるのではないかと考えこの名が付けられたものである。エイボン川は市の中央部を蛇行して流れ、水は清く、水量も多いが、幅10から15mで、日本でいう二級河川にあたり、川原や堤防もない。川面を行き交うのはアヒルの親子連れと、たまに見る長い竿で船を進めるゴンドラ風観光船だけである。これが夏になると、ボートやカヤックでにぎわうという。

モナ・ヴェイル邸とシャクナゲ

モナ・ヴェイル邸(Mona Vale)の庭は川に沿って一九〇五年に作られたもので、この地の富豪アニー・タウネンド未亡人が市に寄付をした庭園である。今は市民の展示場、レセプション、宴会場としても使われている。対岸は個人宅の手入れの良く行き届いた約500坪の庭が整然と流れに沿って続いている。グンネラは巨大な葉を広げ、水辺の大きな質量あるアクセントとしてインパクトがある。

どこの庭も今やシャクナゲとアザレアの花盛り、もちろんこれらはニュージーランドの原生種ではない。

シャクナゲ(石楠花)は、イギリスのプラントハンター、ジョージ・フォレスト(一八七三~一九三二年)が二十五年にわたり雲南で採集活動を行ない、種子や生体で送ってきたものを改良したものである。当時フォレストが専門家としてもたらした成果は異常なほどで、次々と送られてきた大量の種子や標本などに本国の園芸家は対応できなかったといわれている。日本にはホンドシャクナゲ、アズマシャクナゲ、バクサンシャクナゲなど高山性のものが自生しているが、平地に下ろした場合、夏の蒸し暑さでだめになる。現在日本にセイヨウシャクナゲとして家庭にまで植えられているものは、このフォレストから送られてきた末商で、その蒸し暑さに対応できる種なのである。

しかし日本にも誇れるシャクナゲが一種ある。それはヤクシマシャクナゲ(Rhododendron metternichii)で、1.2mの矮性種をつくる上での重要な親となっている。エクスバリー・アザレアは別名ナップ・ヒル・アザレアとも呼ばれ、一八七〇年にA. WatererがR. molleR. calendulaceumとの交雑によって得た実生個体が起源である。さらに他種との交雑で多様な園芸品種が作られた。第二次大戦後、英国のエクスバリーで改良が進められ、主要な落葉ツツジの系統となったのである。元々の親R. molleは中国原生種でレンゲツツジに似て花は黄色である。一方のR. calendulaceumはアメリカ東部のアパラチア山系に分布する高さ2.3mの低木で、花色は橙黄色である。いずれもレンゲツツジ亜属のツツジである。ツツジの語源については「ツツ(筒)ジ状ハナ(花)」が詰まったものといわれ、万葉集や古今集にも出てくる。当時ツツジに対して漢字は石乍自、石管自、丹管士などが当てられ、躑躅の字が使われるようになったのは延喜式(九六七年)が最初といわれ、中国や朝鮮では羊躑躅が使われていたらしい。羊がこの植物を食べて中毒して躑躅(足をバタつかせる)して死んだことに由来するという。尤もツツジ科の植物はアセビ、シャクナゲ類、ハナヒリキなどに見られるように有毒なアルカロイドを含んでいるので、ヤクやシカも食べない。昔は葉や小枝を煮出して家畜のシラミ、ノミ、肥溜めのウジ殺しとして利用されたのである。ハナミズキは日本でも庭園、街路樹として人気があるが、アメリカではドッグウッドと呼ばれている。その訳はツツジ科の植物と同様に、この樹皮を煮出した汁が家畜の寄生虫に効き、特に犬のノミには抜群の効果があったからである。

川に沿った細長い庭園の奥には当時の屋敷があり簡単な軽食ができる。芝生に置かれたテーブルを囲み、観光客が雑談に興じている。花木の中で当地が故郷のものがある。それはカカ・ビーク(Kaka-beak)あるいはパロット・ビーク(Parrot-beak)と呼ばれるマメ科低木で、オウムの嘴状の赤花が美しい、学名でClianthus puniceusと呼ばれる種である。ただしクリアントゥス属には二種あり、もう一種はデザート・ピーと呼ばれるオーストラリア原生の草本で、最近日本でも鉢物として出回っている。

本種は木本で高さ2.3mになる。幹は細く高さをそれ以上にするには支柱が必要となる。これに似た黄花がある。現地名KOWHAI(Sophora tetraptera)と呼ばれる高さ9mになるマメ科常緑低木で、ニュージーランドの国花にもなっている。Sophoraは世界に約五十種があり、日本には古くに渡来したエンジュ(S. japonica)や琉球列島のイソフジ(S. tomentosa)、クララ(S. flavescens)の三種がある。

斜面に石を配したコーナーがあり、日本では見たことがないリュウゼツラン科のBeschorneria yuccoidesが暴れた円錐花序をつけている。この科の植物には珍しく花柄や苞が赤い。この属はメキシコを中心として約十種があり、幹は立ち上がらず子株が叢生し、ロックガーデンや広い公園の植栽によく似合う。石付きにはデージーやジャーマン・アイリスが使われ、その傍らに目にも鮮やかな真紅のシャクヤク(Paeonia lactiflora)がある。ボタン科ボタン属には三十三種があり、そのほとんどが中国東北部に原生するが、日本には奈良から平安時代に渡来し、当初は漢方薬として入ってきた。有薬つまり胃痙攣などを鎮める薬としてであるが、今でも鎮痛剤として利用している。この真紅の「スカーレット・オハラ」はシャクヤクの園芸品種である。十数年前までボタン、シャクヤクはキンポウゲ科に分類されていたが、今はボタン科として独立している。

俗説では日本では気に入らないことやトラブルに、よく「シャクの種」「シャクに触る」といって表現するが、ストレスが溜り、有(胃痛)の原因になるという意味で使われたのである。後世になって、芍が癪に漢字が変わり、はら立ち、立腹の意味も添加されるようになったのである。

昼食は市の東側の小高い丘にある由緒あるレストラン、サイン・オブ・タカへ(Sign of Takahe)でとる。イギリスの古城風の石造建築物で、石材は黒や濃灰色の堆積岩が使われている。この堆積岩はもともとはサザン・アルプスの火山岩が礫や砂となったものが川で運ばれ堆積したものらしい。市の中心部にある大聖堂や古い橋など、皆同じ石材で建てられている。このレストランは地元でも高級レストランとしてパーティなどに利用され、また海外からの観光客の食事ポイントになっている。食事はパン、牛肉、ポテトなどイギリス風であるが、バイキング式の盛皿は種類も多く、魚、エビ、貝類、ビール、国産ワインがうまい。ワインは「Montana」「Marlborough」「Cook」などの銘柄が揃っている。食後は当レストランの庭園見学をする。ここは日溜まりのためか前述したクリスマス・ツリーと呼ばれるフトモモ科のMetrosideros excelsaが三分咲きで、黄色の斑入りの葉はキンマサキに似ているがネムノキ状の赤い花との対比が鮮やかである。庭を抜け丘を上がると市内が一望できる。クライストチャーチの人口は約32万人、この国第三の都市で郊外の人口を入れると約85万人となり、南島全人口の半分(とはいえ筆者の住む世田谷区より3万人少ない)である。西の地平線にはサザン・アルプスの姿も見られる。これはクック山(海抜3754m)を主峰とした南島の背骨といわれる山脈で、万年雪、氷河もあり湖も多い。南部は湿地帯も多く、特にわれわれと深い関係をもっている。というのは南島は園芸的に使われるミズゴケ(水苔)の最高級品が採れる産地で、これらは主に日本に輸出されているのである。一昔前はカナダ物、中国物もあったが今は「ニュージーランド物」が一番。国内では戦前、戦後のしばらくは岡山県が主産地であったが、園芸ブームにより需要に供給が追いつかず、また採りつくしたこともあり徐々に海外依存に移っていったのである。

市の中央にバグレー公園(Hagley Park)がある。面積180ha、中央のリッカートン・ロードが南北にこの公園を分けている。北には植物園や温室もあり、枝分かれした小路を走るジョガーも多い。ニュージーランドはスポーツ王国ともいわれ、中でも有名なのはラグビー世界一の「オール・ブラックス」。水泳や乗馬なども盛んで、ガイドの話では年代別にスポーツも選び楽しんでいるとのことであった。体力のある若いうちはハードなスポーツを楽しみ、体力が衰え始める五十代になるとそろそろゴルフでもやるかということになるそうだ。中高年のスポーツを体力のある若者が横取りしたり、何でも賞金を出すという北半球のゴルフ界とは考え方が一味異なる。したがってスポーツ界の教養やモラルが高く、選手やプレイヤーもプライドを持っているとのこと。

ハグレー公園入口には数十本の巨大なタイワンスギ(Taiwania cryptomerioides)の並木がある。幹径2.3mになり、樹高は60mにもなる台湾の固有種である。

世代交代のため高さ2.3mの若木が並木の間に補植されているが、成木に比べ全体に華奢で針葉もまばらで同じ木とは思えない。成長は遅く、平均六年輪で1cmと『台湾樹木誌』(金平亮三著)に記されている。英名はFORMOSA REDWOOD。そのほかライラック、オオデマリ、プロテア、カリフォルニア・ライラックなどの花々、オオベニウツギ(Weigela florida)の園芸品種(‘Eva Rathke’)、また同斑入り園芸品種(‘Aureovariegata’)や白花品種などから改良されたものがオンパレードである。セイヨウサンザシ(Crataegus laevigata)も同様にこれでもかと花の競演が続く。全く楚々とした感じのものはない。サンザシの赤花種は愛好家によって盆栽に仕立てられるのを見るが庭園樹としてはごく稀である。「これでもか」が好きな方々にはぜひお勧めしたい樹木の一つである。

十一月六日、午前八時三十分に街を離れ、バスにてカンタベリー平原を横断しサザン・アルプス、アーサーズ・パス国立公園に行く予定である。国道七十三号線を北西にオティラ(Otira)まで約170kmある。郊外に出ると酪農王国の名の通り行けども行けども牧場が連なり、クローバーやイネ科の牧草に混ざり、今は菜の花が真盛りで大区画のモザイク紋様となっている。よく見ると採油用や青菜としての食用種ではなく、草丈も40から50cmと低く、放牧されている牛や羊の餌となるらしい。

自然破壊の末の牧場、何エーカー(一エーカーは4.46km2)かに区切られた広大な牧場は境界も兼ねて防風林としてポプラやマツが植栽されている。ニュージーランドはマツ科の種類は少なく、世界中のマツが集められ栽培されている。もちろん日本のクロマツ(Pinus thunbergii)もジャパニーズ・ブラック・パインとして栽培されている。

この樹木の少ない荒涼とした殺風景は一八〇〇年中頃から始まる酪農立国政策に依るもので、150年かけてこの国は国土の約八割の森林を焼き、牧場に変えてしまったのである。

この牧場作りは標高2000mの山岳地帯にも及び、現在は土砂流出という自然の反撃にあっているわけである。羊は高地性の種のほうが毛の長くて良いものが採れて値段もよいことから山岳牧場の開発が無秩序に行なわれたのである。

途中、ディーンズ農場で牧羊犬の活躍や羊毛刈りの実演などを見て、氏の屋敷で十時のティーとケーキをご馳走になる。ディーンズ氏はこの地方の名士である。遡ること約150年前、初代入植者のディーンズ氏は、最初に羊をこの地方に広めたということで小学生の歴史教科書にも登場しているとか。人口が増え都市化の波を逃れるようにしてクライストチャーチから三度の引っ越しで現在の場所に移ってきたそうである。兄弟家族で運営しているこの牧場は、ご多分にもれず世界的な不況で羊毛の値段が下落し、観光牧場に精をだしているというわけである。氏によると「どうもこのところ羊だけでは生活が苦しい。マツの植林でパルプ材としての林業を考えているのだが…」と意見を求められた。もちろん殺伐とした風景が変わるだけでも大賛成である。手をかけずともマツは三十年経てば商品になるので、「YES」の返事をした。この時あえて手を掛けずともといったのは、これだけ樹林を駆逐してしまった所では食害する獣や昆虫なども絶滅してその心配がないからである。その反面、強風対策、灌水装置、育苗施設など余計なことが必要となってくる。

地球環境会議

折しも一九九七年十月、京都で地球環境会議があり、各国からその筋の代表が集まり炭酸ガスの排出規制について意見が出された。ニュージーランドの代表は、カナダなどの森林国と同じように森林面積に応じた各国の割り当て規制を提案したのであった。自国の山を再生させる必要性が高まったのか。工業立国になり得ない立地条件のゆえか。まさか森林を壊わした牧場まで森林としての勘定には入れてないとは思うが、森林国がそれを持たない炭酸ガスを多く排出する工業国にその規制権利を金で譲るなど、まだまだ環境会議はテーブルに着いたばかりで憶測先行で前途は多難である。お茶をいただいている屋敷はイギリス風の暖炉の煙突が屋根の上に二本、家屋もちょうど真中から左右対称になっている。周囲は屋敷林で囲まれ、北側の良く日の当たる芝生はクリケットができる広さである。高さ30mほどの高木、中木、低木が密に茂っている。大部分は外来種で、そうしたヒマラヤスギ、ヒノキ科などの針葉樹に混ざり、ユーカリ、ポプラ、ナンキョクブナなどの広葉樹があり、冬期の冷たい南風を完璧に防いでくれる。家に面した林縁には花木が植えられており、それらは市内の庭とほとんど同じシャクナゲ類、エクスバリー・アザレア、サンザシ類などである。林内の小道は後から鳥が運んだかプセウドパナックスが藪状に生え、その中に最近日本の生花市場で枝物として人気のトベラ科トベラ属の一種Pittosporum eugenioidesがあった。トベラ科はオーストラリア、アジア、アフリカ、太平洋諸島に約二百種があり、ニュージーランドも原生地の一つで、枝物は上記の小葉で丸葉斑入り種が使われている。日本にはトベラ(P. tobira)ほか、コバトベラ、シロトベラなど計六種がある。

牧場を後にし、バスは山岳部の入口にさし掛かる。この辺りはワイマカカリ川の急流が一気に平野に出てゆるやかに流れている場所で、少し逆に登るとワイマカカ渓谷があり、観光コースとしてジェットボートで行くことができる。救命胴衣、レインコートをつけての乗船で、運転は時速80kmの神風運転さながら、振り落とされないよう手摺りにしっかりつかまってスリリングな体験をした。川は水量が多く、水は澄み、小魚やそれを追う鳥などの影もない。クライストチャーチの年降水量は628mm、東京の三分の一程度だが、サザン・アルプス東斜面ではおそらく2000mm以上は降るものと思われる。今日の目標のアサートン峠はサザン・アルプスを東西に分ける分水嶺で、西に流れる水はタスマン海に注ぐ。峠を境として極端に降水量が変わり、特にこの山脈の南部は年降水量が6000mmを超え、多くの氷河を発達させ山腹を覆う密林を育てる。

ニュージーランドで魚釣り

南半球には脂鰭を持ったサケ科の魚はもともといないし、この国にはコイ科の淡水魚もいないようだ。北島ではマオリ族が捕獲して食べるオオウナギぐらいで、釣りに適する魚は生息していないのである。入植者は川釣りを楽しむために北米から鱒(トラウト)を輸入し各河川に放流した。現在はルアー・フィッシングも盛んで、この川で毎年行なわれるマス釣り大会では10kgほどの大物もヒットする。筆者が大学生であった約三十五年前、日本大学の水産科に入学した中学、高校からの同級生がいた。筆者が農学科にもかかわらず、彼と日本の水産の将来に関する話をよくした。その頃ロシアから年々北洋のサケ、マス魚獲割当てが減らされている時で、戦後のドサクサで70から80万t獲っていたものが20万t、10万tと次第に減らされ、北洋漁業危機の時代であった。北海道、東北の河川では人工孵化幼魚の放流などが本格的に稼働しはじめ、各国が主張する沖合いでの捕獲規制をし、サケ、マスの母川権利に対処する北洋漁業界の姿があった。そんな背景があり、筆者は彼に「南半球にはサケ、マスはいないので移植に成功すれば水産界は異なる形(輸入)で生き残れるだろう」と言ったことがあった。友人は卒業後、日本の遠洋漁業の基地カナリア諸島のラス・パルマスに赴任し、その後の接触は途絶えたが、今では大量放流されるようになって回帰する魚の数も増えているが餌不足のせいか年々小形になっているという話を聞く。サケ、マスの輸入はロシア、カナダ、アメリカ(アラスカ)が主流であったものが、現在では南米のアルゼンチンが二位を占め、われわれは南半球の「新巻鮭」を食べているのである。そう考えると今度は極東だけの固有魚、アユをニュージーランドに移植させ十二月解禁、ニュージーランド鮎友釣りツアーができるかもしれない。観光立国としては良いアイディアだと思う。バスはいよいよ山岳部に入る。国道七三号線は、クライストチャーチから反対のタスマン海に面するグレイマウス、ホキティカの町を結ぶ重要な街道で、ワイマカカリ川に沿って走っている。この時期はサザン・アルプスの3000mに近い山々はまだ雪が残っている。標高が上るにつれて谷は狭くなり、山は急峻になるのが当たり前なのだが、この現象はまったく見られない。谷間が広く開けて平原が出現し、その中を川が蛇行しているようである。

これは土砂によって谷が埋められて氾濫原となり、山の森林が破壊されてしまったことに原因しているのかもしれない。道は川より10mほど上がった場所で山を崩して作られている。左側の山は自然のままの疎林が残されている。右は広く開けた氾濫原で、数km先は山にぶつかる。先程の河畔からこの辺りまで人家は一軒もないが、かつて宿屋だった二階建ての廃屋が国道沿いにある。

巨大鳥モア発見

約三十年前にこの宿の主人は200年前に絶滅したといわれている史上最大の鳥「モア」を発見し写真も撮ったと発表した。世界中の鳥類学者がこの宿に泊り込み一年がかりで付近の山の探索を行なった。結局何も発見されず主人のでっち上げとの結論で、国一番のペテン師のレッテルが貼られこの事件はチョンとなったのであった。ついでにペテンは中国語の彊子(ベンジー)から訛ったといわれ、いつわりだますことで、ペテン師は詐欺を業とするものである。またチョンとなったのチョンは芝居の終わりの合図の拍子木の音で、幕とか幕引きも終わりを意味する言葉である。

モアは世界最大の飛べない鳥で、体高4m、体重230kgとされ、かつてこの鳥の捕獲を目的とした原住民もいた。しかし乱獲による個体の減少でその民族も北に移住したと伝えられており、現在では羽根や骨格標本が残っているに過ぎない。この鳥の祖先は、オーストラリアとマダガスカル島が分離していなかったゴンドワナ大陸時代に発生し、分離後に両方に生息していた飛べない巨大鳥エピオルニス(ヨーロッパでは象を食べると信じられていた。また、『アラビアン・ナイト』では、ロック鳥のモデルにされたという)と同じかもしれない。オーストラリアのものは有史以前、マダガスカルのものは200年前に絶滅したといわれている。

そんな事件があった後の国民性かユーモアか、国道にはモアのシルエット付き「モア注意」の道路標識がある。この宿屋はかってワイマカカリ川の川越の宿として繁昌していたが、橋が架かり泊る客がほとんどいなくなったため、経営難打開の窮余の一策だったようある。それでも捜索隊が宿泊している間はいくらか儲かり、転業したとのことである。昼食はアーサーズ・パスの山小屋レストラン「シャレー」で鹿肉料理を食べた。日本では花札の役「猪、鹿、蝶」の「鹿にモミジ」の図柄に引っ掛けて、鹿肉はモミジといわれる。刺身やモミジ鍋として比較的ポピュラーであるが、この国では脂身が少ないのが好まれている。しかも中高年の健康食品として人気が高まって鹿牧場も増えているとのことである。峠越えの途中、ドブソン・ネーチャーパークで一休みし、付近の植生を見る。この辺は冬期かなりの積雪があり、ひなびたスキー場もある。代表的植物はマウント・クック・リリー(Ranunculus lyallii)で、キンポウゲ科の純白の花が美しい。

この植物は小さな流れのある湿地を好んで生え、クリスマスローズを上向きにさせたような花をつける。周りには低いイネ科の植物が茂っている。このイネ科の植物は一般にタソック・グラスといわれているもので、南島のほぼ東半分を占めている植生である。その中に高さ30cm、葉張り50cmほどのロゼット状に広がるキク科と思われる植物があった。葉はシルバーグレーでハワイの固有種として有名な銀剣草(Argyroxiphium)に酷似している。

帰国後調べたらどうもラオウリア属(Raoulia)の植物らしい。この属はニュージーランドに固有で約二十種があり、多年草または灌木で、小形のものは集まってクッション植生となる。ここにあるものは高さ30から40cmでおそらくR. hookeriではないかと思われた。形態は同じだが淡緑色で斑入り種も確認できた。これは先程の牧場にもあった。プセウドパナックス(Pseudopanax lessonii)は、あたかも日本のカクレミノを思わせる植生で密度も高く、降雪地帯でも耐えることが解った。この峠は標高737mで、風の通り道で多少風衝植生気味の4、5mの低木林が続き、ところどころ3、5m樹冠より飛びだしている木が目につく。分岐して枝先にアナナス状の葉を叢生させるドラコフィルム(Dracophyllum muscoides)である。南半球の山岳部の痩地に生えるもので平地や土地の肥えた場所への移植はむずかしい。エパクリス科ドラコフィルム属はオーストラリア、ニューカレドニアなどに約三十種がある。国道に沿ってクライストチャーチから高原列車のトランズアルパイン単線鉄道が西海岸のグレイマウスまでおよそ255km通っていて、ディーゼル車が走っている。かつては西海岸への動脈として活躍していた鉄道だが、道路の整備によって今はさびれ、一日一往復の観光列車として運転されている。

築十年5LDK、庭広し

峠は長いトンネルで貫かれ、西側の駅がオティラ(OTIRA)という駅でここは標高が378mとなる。峠から一気に359mの落差である。駅を中心に四十から五十軒の家屋が点在し、小ざっぱりとした村の雰囲気だが人影がまったくない。駅も無人、建物全部が廃屋のゴーストビレッジ化している。ガイドは「どの家もタダ同然で買えますが一ついかがでしょう」と言った。築十年5LDK、ガレージ大型二台、庭広し、と申し分ないが、ここでは商店もなく島流しも同然である。鉄道が栄えていた十年位前ここは保線区員の家が多かったが、今は仕事がなくなり全員が都市部に引っ越したとのことである。遠くでピーという汽笛が二度三度、谷間のカーブを曲がってくる。四時、日一便の上り列車が停車した。われわれの帰路は高原列車と洒落込む。クライストチャーチの郊外スプリングフィールド駅まで約100kmである。バスは反転し列車と平行して競争しながら走る。駅までは列車がわずか二、三分早く、バスは遅れて到着した。ドライバーによれば「この競争の勝率は平均五分五分」とのことである。ここから再びバスにて60km離れた市内に向かう。サザン・アルプスの東側からスプリングフィールドまでの間には、やたらマメ科の低木の花盛りで、山の斜面はあたかも黄色のじゅうたんを敷きつめたようであった。現地でゴールドダスト・ワトルと呼ばれている種の原生地はオーストラリアである。最高でも高さ1.8mの灌木性のアカシア(Acacia acinacea)である。乾燥地でもよく繁殖し、花期は冬の半ばから春にかけてで、今が最盛期というわけである。

ニュージーランドの原生種として園芸的に日本でも有名なものはニューサイラン、ドラセナ・インディビサと呼ばれているコルディリネ・アウストラリス(Cordyline australis)があるが、ニュージーランドでは日本の園芸界のようにアウストラリスとインディビサを同一のものとはせず、別種として分けている。文献によるとアウストラリスの剣葉は長さ1m、幅5cm、インディビサは1.2~1.8m、幅8~12cm、丈は6mと同じだがインディビサの方が太くて大きい。両方とも南北の島に自生しており、かつて白人入植者は新芽を野菜として利用していたのでニュージーランド・キャベッジツリーと呼ばれている。最近は両種の交雑種が多く純血種は減っている。コルディリネ属は温帯性のものが多く、「青ドラ」と呼ばれているコルディリネ・ストリクタは熱帯では枯死する。日本での植栽南限はインディビサは九州本土まで、コルディリネ・ストリクタの生産は奄美大島までで、沖縄では涼しい好条件の場所を除いて一般的なところでは育たない。両者ともに18℃位が調子がよいようで多少の霜や雪で枯れることはない。

午後七時近くに大聖堂前広場に到着した。クライストチャーチ最後の日ということで、羊毛製品、毛皮などを売っている土産物屋をのぞいてみる。筆者は今日の旅先でセーターなどを買い込んだので、自分の土産である植物図書を探しに本屋に行き、カラー写真一万点と植物解説を載せる『ボタニカ』を135ドルで購入(1ドル86円50銭)、紙も上質で重さ4.4kgである。旅先では大層な荷物だが、その後今年(一九九八年)五月に発刊した『熱帯花木と観葉植物図鑑』を編集するとき、参考書として大いに役立ったのである。

南限のヤシ

十一月七日、午前十時三十分、クライストチャーチを離れ、北島のオークランドに向かう。途中首都のウェリントンに着陸したため直行便より三十分余計にかかり約二時間十五分のフライトとなった。

早速バスに乗り込み、アルバート公園の植生を見に出発した。この公園は市の東側にあたり、広大な敷地の中にオークランド大学も包含している。入口の並木はクリスマス・ツリーと呼ばれるメトロシデロスが植栽されているが、すべてアオタ物(業界用語で斑の入っていない物を指す)の原種で、古木のせいか下枝がなくスリムである。正面の左側にはニュージーランドの固有種で高さ7mほどのニカウパーム(Rhopalostylis sapida)が十数本植栽されている。

このヤシはヤシ科の中でも最も南に分布する種で、南島のタスマン海に面した海岸に自生するものが南限である。和名はナガバハケヤシ。ハケヤシは「刷毛ヤシ」の意で、使い古したバサバサの毛筆を立てたような形態だからである。繊維はロープに、若芽は野菜としてマオリ族は利用してきた。今日は朝から雨で、われわれが空港に着く前はどしゃ降りだったそうで、今は合間である。オークランドは南島のクライストチャーチに比べ、降水量は多く年間1115mmとなる。とくにこの時期の月間降水量は187mmである。こんもり茂った森の樹冠を抜いて数m離れたワンツリーヒルが借景のごとく見える。この丘は火山活動が盛んだった頃の噴火丘で頂上に老松が傾いて生え、市のどこからも見えることから、市のシンボル的ランドマークになっている。かつて侵入してくる白人に対して原住民マオリが砦としてたてこもった場所でもある。このような噴火丘はオークランドにイーデン山など十一ヶ所がある。森を形成する巨大な木の一つにフィクスがある。Ficus macrophyllaの近縁種と思われるが樹高30m以上、幹径2m、目立つ気根はない。

カウリはニュージーランドを代表する木の一つで、ナンヨウスギ科のAgathis australisである。ニューカレドニアにも分布している高木で和名をナギモドキという。この葉は肉厚、光沢があり、日本に産するナギ(Podocarpus nagi)に酷似している。土に埋もれた風倒木は長い年月をかけて樹脂が凝固して琥珀の代用として利用されている。ついでに、琥珀はよく昆虫などが封じ込められているものがあり、古代の虫の進化を見る材料としても有名である。

雨再び。雨宿りを兼ねてお茶の時間とし、キヨスクに入る。ドア横に高さ5.6mの見なれない低木が小枝の先端にルリ色の果実を房状につけていた。日本でこんな色の実をつけるのは琉球列島に産するルリミノキ、ノシラン、リュウノヒゲなどだが、どうもヤマモガシ科の植物らしい。

キヨスクではイギリス風の間食スコーンが出されたが、遅い昼食でまだ腹一杯であり、紅茶だけをいただいてイーデン山に向かう。


  • 初出掲載紙:(社)日本インドア・グリーン協会発行『グリーン・ニュース』
  • ニュージーランド植生誌No.1(グリーン・ニュース、一九九八年五月号)
  • ニュージーランド植生誌No.2(グリーン・ニュース、一九九八年八月号)
  • ニュージーランド植生誌No.3(グリーン・ニュース、一九九八年九月号)

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